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「手をかけることは、プレゼントだった 〜お墓について和尚さんと話した日〜」

自分が死んだらどうしてほしいと思いますか?

私は死んだら自然に返してほしいって、漠然と思ってたんですよね。
どこかの海にパラパラっと撒いてくれてもいいし、
山に植えてくれてもいいし、
なんならその辺の土に混ざって大地になってくれればもう本望、みたいな。

人に迷惑かけたくないし、
管理とか手間を残したくないし、
「自然がいちばん美しいし自由じゃない?」って😊🌿

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だけど、今日、和尚さんとお墓の話をしていてね、心がふっと止まったんです。

今って、お墓じまいが当たり前のようになってきていて。
「管理が大変」「遠くて行けない」「誰かに任せるのも悪いし…」
そんなふうに、“負担を減らすこと”がやさしさだと、多くの人が思っている。

私も、ずっとそうだった。

でも和尚さんが言ったんです。

「それって、“仕事”を取り上げてしまってるんですよ」って。

…仕事?

つまり、「親のために手を合わせる」「お墓の掃除をする」「そこに行って思いを馳せる」
そんな、誰かのために“手をかける時間”は、ただの“負担”じゃなくて、プレゼントなんですって。

「やらされること」じゃなくて、「やらせてもらってること」なんだと。

それを聞いたとき、ガーンってきて、なんかもう目からも心からもウロコがドサドサ落ちて。

そうか、私が自然に撒かれたいと思ってたのは、
やっぱり“曖昧”で“自由”で、
きれいだけど「どこでもいい」ってことでもあった。

でも、人は時々“どこでもいい”ではいられない時がある。

「今、会いたいな」
「今、ちょっと話したいな」
「今、自分がどこから来たのか、もう一度思い出したいな」

そんな時に、“手を合わせられる場所”が力になるっていう考え方も確かにあるなって🤔

しかもそこは、“思いを馳せる場所”であり、“手をかける仕事”が残っている場所。

その「役割」があるって、なんてあたたかいことなんだろう。
その「役割」は、重荷じゃなくて、つながりの証だったんだなぁ。

……なんてことを、今日、火を前にして和尚さんと語り合いました。

私、少しだけ考え方が変わった日でした。
そして、いつか私がいなくなったとき、
「手をかけてもらえる」場所を残すのも、やさしさなのかもしれないなって。

そんなことを思いました。

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