今日は、通ってくださって1年ほどになる生徒さんのお話をシェアします。
この思いが、今、同じように苦しんでいる誰かの心を少しでも軽くできますように。
ご本人の了承をいただいて、このブログを書いています。
彼女が初めてヨガに来てくださったのは、「穏やかになりたい」という理由でした。
そして3か月ほど経ったある日、ぽつりとこんな言葉をこぼされました。
「どうしても、どうしても許せない人がいるんです」
その言葉の奥には、長い間抱えてきた、深くて、重くて、冷たいほどの孤独がありました。
まるで波のように、静かに打ち寄せては引いていくその感情。
希望と絶望が交互に顔を出し、心をゆさぶっていたのだと思います。
ある日は、澄んだ青空を見て「この世界にいてもいいのかもしれない」と思えたり。
またある日は、「もう向こうの世界に行きたいなあ」とつぶやくような、そんな日もあると。
その揺れの中で生きてきたことは、
きっとご本人にしかわからない、ギリギリの場所を歩いてこられた日々だったと思います。
私はヨガのレッスンで、「許しましょう」と伝えることがあります。
でも、彼女のその気持ちを、私は「手放さなければいけないもの」だとは思わないのです。
どうにもならない思いを、抱えながら生きているその姿が、そのままでどうしようもなく美しい。
そう感じてしまうのです。
許せないままで、いい。
幸せを感じられない日があっても、いい。
この世界に絶望したり、ふと希望を見つけたり、その両方があるのが人間です。
そして、どちらのあなたも、そのままで大切です。
彼女は今も「いつか許せるようになりたい」と話してくれながら、ヨガの修行を続けています。
私は、その道を一緒に歩めることを心から光栄に思っています。
でも同時に、こう伝えたいのです。
もう、あなたはすでに美しいと。
許すことが“ゴール”じゃなくていい。
このままで、もう十分。
あなたがここに存在してくれていることが、すでに奇跡のように美しいのです。
だからもし今、
「穏やかになれない自分」を責めている方がいたら。
「どうしても許せない気持ち」に苦しんでいる方がいたら。
そのままのあなたで、大丈夫です。
私たちは人間です。
感情を手放す自由もあれば、持ち続ける自由もある。
それを選ぶ権利が、ちゃんと一人ひとりにあるのです。
あなたは、あなたのままでいい。
そのままのあなたに、今日も私は会いたいと思っています。