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「○○はいない」を前提すると、人生がスルスル動き出す

ヨガが言う軽く生きるには
「私はいない」と思う事。

それが一番シンプルで間違いなくて
難しいヤツ。

「私がいる」って思いすぎると、人生は執着が多くなり
重くなりしんどくなる。

でも逆に、「私、いない」って前提で生きてみたら…人生、すごく軽くなる。

目次

たとえば、こんな日ありませんか?

・誰かに嫌なこと言われて落ち込む
・SNSで誰かの投稿を見てモヤモヤ
・家族の反応にイライラ…

で、「なんで私はこうなんだろう」「私ってダメだな」って自分にダメ出し。

それらは全部「自分がいる」と信じているから。

でもちょっと待って。その“私”って、いったい何者だず?(←急に山形弁使いたくなった)

【私】は、寄せ集めの結果にすぎなかった?

怒ったのは、自分のせいじゃない。
その時の体調、相手の態度、過去の経験、気圧…
いろんな要因がちょっとずつ重なって、怒りという現象が「起きた」だけ。

つまり、
「私が怒った」じゃなくて、
「怒りが発生する条件が揃っただけ」。

これが「因果法則」。
何かの“原因”があって、何かの“結果”が出る。ただそれだけ。

“私”って、実は「いろんな要素の集まり」でできた、
ある種の“設定”みたいなもの💡

「私がいない」と思うと、楽になる

「私」がいると思うと、評価されなかったり、
誰かに批判されたりした時に、
全部を自分で背負い込んでしまう。

でも、「私っていないんだよな」って思えると、
それがただの出来事に見えてくる。

・人の言葉も「音」になる
・イライラも「波」に見える
・評価も「外の声」にすぎない

私が消えたら、世界がそのまま見えてくる。これは、自分を手放す練習。

“自分なし”で生きるのは、修行じゃなくてゲーム

もちろん、「私をなくす」なんてすぐにはできない。
それが普通です。わたしたち人間だもの🧑‍🤝‍🧑

だからこそ、ゲーム感覚で

今日もちょっと“私”を忘れてみるか」くらいがちょうどいい。

「今、なんか心が軽いな」って思ったら、それは“私”が少し薄くなったサインかも。

ヨガや瞑想は、”自分なし”生活の練習場

瞑想している時、しんどいって感じる時は、“私”が強く出てるのかもしれません。
「上手にやらなきゃ」「集中できてない私ダメ」みたいな。
自分に集中!!

でも、そもそも“私”がいないと思って座ってみたら、どうでしょう?
空気に自分が溶けるような、不思議な感覚がやってきます。

ヨガのポーズだって、「私がやってる」んじゃなくて、「今、起きている」って考えると、体も自然とゆるむ。

今日から始める「自分なし生活」

「どうせ生きるなら、楽しく、気楽に、幸福に。
そしてそれなりに欲も持って、面白がって生きていこう」

これが、私が“私をなくす”ことで見つけた生き方。
悟りとか言うと難しいけど、まずは「私って本当にいるのかな?」って疑ってみることから。

“私”を手放すと、世界が軽くなる。
心に風が通る。
そして、なぜか「本当の自分」に出会える。

よかったら、今日からちょっとずつ、一緒に始めてみましょう♪

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