
え~、ご報告です。最近、うちに禅ブームが来ました
最近、夫がとあるお寺でお仕事する機会がありました。
帰ってくると、なんだかちょっと変わってる。🤔
「靴を並べようと思うんだ。」
…え、誰?(笑)
実はそのお寺の和尚さんの影響をビシバシ受けて、日常の中に“整える行動”を取り入れたくなったらしいんです。
いいね〜!その「やってみようかな」って気持ち、大事。
でもね、話はそこで終わらなかった。
「禅の心は靴を並べることから!」にモヤッ
夫が子どもたちにもこう言い出したんです😂
「禅の心は靴を並べることから整うんだ!」
あれれ?なんか急に説法モード?
たしかに、靴を並べると心が整うって禅の世界ではよく言われてます。
でもそれって、“やりたい人がやるから意味がある”んじゃないのかな〜って、私は思うのです🤔
ヨガもアーユルヴェーダも「気持ちいい」が入口
私がヨガやアーユルヴェーダで大切にしているのは、
「整えるために我慢すること」じゃなくて、
「自分が気持ちいいと思えることを選ぶ」ってこと。
ヨガのポーズも、アーユルヴェーダの生活習慣も、
“楽しい”とか“心地いい”から自然と続くんです🪷
そして気づいたら、心も体も穏やかに整っている~
禅の靴並べも、そういう気持ちでやるなら最高😆✨
でも「やらなきゃ心が整わない!」ってなった瞬間に、
それはもう義務であり、修行ではなく、苦行…。
仏陀も言ってたらしいよ「苦しみの先には、苦しみがある」
仏陀はこう言ったとか言わないとか。
「苦しみの先には、苦しみがある。」
どストレートですが、深い。
無理にいい人になろうとして、自分にウソをついたら、心はどんどん苦しくなる。
善いことをするのは、自分がそれをやりたいと感じたときにだけで、いい。
だからこそ、日常の中に“自然とやりたくなる整う習慣”がひとつでも見つかれば、それってすごく尊い。
靴は、並べたくなったときに並べよう
大事なのは「整えるために何をするか」じゃなくて、
「その行動が気持ちよく感じられるかどうか」。
靴を並べるのもいいし、
コーヒーを丁寧に淹れるのもいいし、
ヨガマットの上でひと呼吸するのもいい。
自分にとって“心地よい整え方”を見つけられたら、
それだけで今日という日はちょっと整っていく。
まとめ:整う習慣は、自分の「好き」から始めよう
「善い行動」は、やりたいからやるのが一番🙆
“整ってる風の自分”を演じるんじゃなくて、
「なんかいいかも」「これ、私好きかも」っていうタイミングが、
本当の意味での穏やかさにつながっていく。
今日も、無理せず、気持ちいいことをひとつだけ♪
靴、並べてもいいし、並べなくてもいい!
自分が「よしっ」と思えることを、ゲーム感覚でやってみよう。
ではでは、今日もゆるっと整っていきましょ〜!